地球外知的生命との交信は誰が発信すべきか 冷戦下で始まったMETIの実験

1962年11月19日から24日にかけて、ソビエト連邦のクリミア半島にあるエバポリア惑星レーダー(EPR)センターの科学チームが、金星に向けてモールス信号を送信した。RT-70電波望遠鏡を使った実験で、送信内容は「MIR(平和を意味するロシア語)」に続いて「レーニン」と「ソビエト連邦」という文字だった。信号は金星の表面で反射して約4分半後に地球に戻ってきた。

この実験の主目的は知的文明との接触ではなく、レーダー施設の技術能力を検証することだった。当時は金星が潜在的に生命が存在しうる惑星と考えられており、濃い雲の中に海が存在するという仮説が有力だった。しかし同年12月14日、マリナー4号の探査機が金星の表面温度を初めて詳細に測定し、その後ソビエトの複数の探査機やランダーが次々と事実を明かすことになる。金星は二酸化炭素の大気、硫酸の雨、太陽系で最も高い地表温度を持つ、まさに地獄のような環境だったのである。

隣の惑星から星間空間へ

この時期を境に、地球外知的生命探査(SETI)と地球外知的生命への交信(METI)の両分野で重要な転換が起きた。それまでは太陽系内の隣接する惑星に向けて信号を送受信していたが、20世紀後半の取り組みは星間空間へと向かうことになった。

エバポリア惑星レーダーセンターは1999年から2015年にかけて、複数の公開資金による実験に必要な通信基盤を提供することで、METIの発展に極めて重要な役割を果たした。冷戦時代は米ソ両超大国がいち早く宇宙人との接触を実現することに戦略的な価値を見出し、SETIとMETIの双方の研究開発に拍車がかかった。だが科学的な動機は次第に変わっていった。単一国家による隣の惑星への発信から、人類全体を代表しての星間メッセージへと広がり、より普遍的な視点が定着していったのである。

SETIを科学分野に確立した先駆者

こうした分野の発展を主導したのが、コーネル大学の天文学者フランク・ドレイクである。1930年にシカゴで生まれたドレイクは、幼少期から科学への関心を示し、後にコーネル大学で天文学の学位を取得した。地球外知的生命探査(SETI)を正当な科学分野として確立する上で、ドレイクほど重要な役割を果たした人物は少ない。彼はグリーン・バンク天文台の25メートルハワード・E・タテル電波望遠鏡の前に立つ写真でも知られており、現代的な技術を用いた宇宙との対話という新しい時代を象徴する存在だった。

宇宙が広大で多くの未知に満ちているなか、人類が自らの存在を潜在的な宇宙文明に知らせるべきか否かは、科学コミュニティ内でも議論の余地が残される問題である。100分の1の確率で敵対的な文明が存在するとしたら、「我々がここにいる」というメッセージを送ることの帰結はどうなるのか。一方で、沈黙を保ち宇宙からの信号に耳を傾けるだけなら、何か重要な接触機会を逃してしまうのではないか。こうした倫理的な問いは、実際の接触が起こるまで、おそらく議論が続くことになるだろう。

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出典: Universe Today